ヒップホップの歴史を語る上で、パブリック・エナミーは外せない存在だ。
彼らは、黒人が感じている社会と政治に対する怒りをラップにした、言わば、社会派ヒップホップの先駆者だ。
パブリック・エナミーのメインラッパーである「チャックD」は、パブリック・エナミーの影響により、ブラック・コミュニティーにおいて、「何千人もの指導者が生まれること」を目標としていたそうだ。
このページでは、そんなヒップホップ界に影響を与えたパブリック・エナミーについて見てみよう。
パブリック・エナミー結成
パブリック・エナミーが結成されたのは、1980年代初頭である。
当時、チャックDは、ニューヨーク州ロングアイランドにあるアデルファイ大学で、グラフィック・デザインを専攻して通っていた。
チャックDは、ハンク・ショックリーというDJが率いるグループ「スペクトラム・シティ」で、イベントのフライヤー製作を手伝ったり、ラップを披露したりしていた。
当時、WBAUというラップ専門のラジオ番組があり、ビル・ステファニーがDJホストを務めていた。このビル・ステファニーと、DJのハック・ショックリー、チャックDはつるむようになり、3人でヒップホップについて熱く語っていたという。
そして、ビル・ステファニーがラジオで、DJのハック・ショックリーやチャックDらが製作したデモ・テープを流したところ、デフ・ジャム・レコードの共同経営者「リック・ルービン」に見出されたのだ。
リック・ルービンの説得により結成
リック・ルービンは、早速デフ・ジャム・レコードとの契約の話を持ちかけたが、当初チャックDはあまり乗り気ではなかった。エンターテイナーになりたくなかったという。しかし、リック・ルー鬢の説得の上、ようやく応じることとなった。
そして、DJターミネーターX、プロフェッサー・グリフ、フレイヴァー・フレイヴを迎え、グループ名は、以前ハンク・ショックリーが作ったトラックに、チャックDがライムを刻んだ「パブリック・エナミー#1」という曲のタイトルを使い、「パブリック・エナミー(社会の敵)」と名乗った。
1987年、遂に、パブリック・エネミーのファースト・アルバムがリリースされた。
- Yo Bum Rush the Show / Public Enemy
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1987年にデフ・ジャムからリリースされた、パブリック・エネミーのファースト・アルバムだ。
社会と政治に対する怒りが示されている。
- It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back / Public Enemy
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1989年にリリースされたセカンド・アルバム。このアルバムは、ヒップホップ史上最高のアルバムと言われることもある。
映画「レス・ザン・ゼロ」のサントラに収められた「Bring The Noise」や、「Dont Believe The Hype」などのヒット曲を生んだ。
1989年、パブリック・エナミーに問題が勃発。
1989年、パブリック・エナミーに問題が起きてしまう。
1989年5月、パブリック・エナミーの情報相であるプロフェッサー・グリフが、ワシントン・タイムズ紙のインタビューに応え、ユダヤ人は「このこの世の中で起こる邪悪なことの大半」に責任があると断言し、パブリック・エナミーは世間からの批判を受けたのだ。
この件は、チャックDは、騒ぎを収めるために、グリフをパブリック・エナミーから解雇した。
- Fear of a Black Planet / Public Enemy
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1990年にリリースされたサードアルバム。全米ポップ・チャートでトップ10となる。
- Apocalypse 91: The Enemy Strikes Black / Public Enemy
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1991年にリリースされた4枚目のアルバム。全米ポップチャートで4位になり、プラチナディスクを獲得した。
- Greatest Misses / Public Enemy
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1992年にリリースされた5枚目のアルバム。
- Muse Sick-N-Hour Mess Age / Public Enemy
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1993年にリリースされた6枚目のアルバム。作品的にも商業的にも失敗に終わったと言われている。
当時はギャングスタラップが主流だったが、パブリック・エナミーは取り残されてしまった。
- He Got Game / Public Enemy
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1998年にリリースされた7枚目のアルバム。
スパイク・リー監督が映画「He Got Game」のサントラを作成するために、再びパブリック・エナミーのメンバーが集められて収録された。
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