HIPHOPの歴史の始まり

ヒップホップは1970年代初頭に、ニューヨークのサウス・ブロンクス地区で生まれた。

その地域には、貧困でドラッグにおぼれる人や、ストリート・ギャングが多い地区であり、古いボロボロの建物が並ぶ町だ。

1970年代当時、世間ではディスコが大ブームだった。だが、貧困なアフリカ系アメリカ人の若者達は、ディスコに遊びに行くお金がない。

そこで、彼らは公園に集まりパーティーをするようになる。

家から運んできたターン・テーブル(レコード・プレーヤー)を、外灯のコンセントに差込み、DJがレコードを回すなかでダンサーが踊り、グラフティー・アーティストは建物や列車に絵を描き、MCはラップを披露した。

そんなパーティーは、ブロック・パーティーと呼ばれ、貧困な若者達は、お金のかからない公園で遊んだ。
これがヒップホップのオールドスクールの始まりである。

世の中、人が集まるところには、リーダーやカリスマが存在するものだ。
もちろん、これらのパーティーのなかでも、3人のカリスマDJが存在した。

若者達は、彼らが出現するブロック・パーティーに足を運ぶようになる。

その3人とは、

  • クール・ハーク
  • アフリカ・バンバータ
  • グランド・マスター・フラッシュ

の伝説のDJ達だ。

この3人は、ヒップホップの歴史では「元祖」と称されている。

DJクール・ハーク(Kool Herc)

1954年生まれのクール・ハークは、母親の影響でブラック・ミュージックにはまっていた。

当時はディスコが大ブームであり、ディスコDJ達は、流行のレコードを回していた。しかし、クール・ハークは少し違った。

誰も知らないような古いレコード(ファンクやソウル、R&B)を回しては、ダンサーを踊らす日々をすごしていた。

クール・ハークは、レコードを回すなかで発見をした。
一曲のなかでブレイク・ビーツ(間奏)が一番盛り上がることに気づいたのだ。

そして、同じレコードを2枚持ち出し、2台のターン・テーブルでつないで、ブレイク・ビーツを長く保った。

これが、ヒップホップの音楽シーンの始まりであり、DJの基本ともいえる。

長いブレイク・ビーツのなかで、ダンサー達は独自のダンスを披露し、パーティーは盛り上がりを見せる。

ダンスはブレイク・ダンスと呼ばれ、ブレイクダンスをする少年たちをB-BOY(ブレイク・ボーイ)と呼ばれだしたのはこのころからである。クール・ハークがB-BOYと命名したとも言われている。

彼がよくかけていた曲で、インクレディブル・ボンゴ・バンドの”APACHE”がある。(後にシュガー・ヒル・ギャングがカバーをしている。)

クラブ通いをしている人なら一度は聴いたことがあるだろう。そう、ヒップホップを国と例えるならば、APACHEは国歌的存在の曲だ。

クール・ハークのテーマとして、現在でもヒップホップ・シーンで受け継がれている。

ボンゴ・ロック / マイケル・ヴィナーズ・インクレディブル・ボンゴ・バンド

2曲目に、インクレディブル・ボンゴ・バンドの名曲である「APACHE」が収録されている。このブレイクビーツだけは必ず聞いて欲しい。もはや、ヒップホップはこの曲なしでは語れないだろう。

このアルバムは、ヒップホップでサンプリングされた元ネタがギッシリと詰まっている。

アフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa)

一方、ブロンクス最大のストリート・ギャング集団 “ブラック・スペイズ” のリーダーだったアフリカ・バンバータは、幼いころから母親の影響でレコードを数多く集めていた。

彼はクール・ハークのDJプレイに影響され、DJの技術をどんどん身につけていく。
その実力は、「マスター・オブ・レコード」と呼ばれるまでになる。

70年代半ばにストリート・ギャング集団が消滅したころ、アフリカ・バンバータは、DJやMC、グラフティー・アーティスト、ダンサーを集めたヒップホップ組織、ズールー・ネーションを立ち上げた。

この組織は、暴力やドッラグなどの無意味さを訴え、正義、平和、自由、愛・・・等を信念とし、ヒップホップを盛り上げていく。

現在ではユニバーサル・ズールー・ネーションに発展し、国際的な活動を行っている。

後にバンバータは、なんとファンクの神様 “ジェームス・ブラウン” との合作 “Unity” をリリースしている。

この曲は平和、調和、愛を6曲に渡り訴えている、感動ものの1枚だ。↓

また、82年にソール・ソニック・フォースとの曲”プラネット・ロック”をリリースする。

この曲はヒップホップの歴史に名を残した、言わば大革命の名曲である。

グランド・マスター・フラッシュ(Grandmaster Flash)

グランド・マスター・フラッシュは、カリスマの3人の中で、一番エンターテイメント性が強い人物である。
彼は、DJのプレイ中に、客に背中を向けてDJプレイをして喜ばせたりした。

また、フィリアス・ファイブをMCとして一緒にパフォーマンスを行う。
このDJと数多くのMCというスタイルが流行となる。

コールド・フラッシュ・ブラザーズやDJセオドア&ファンタスティック・ファイブ、DJブレイク・アウトが所属するファンキー・フォー・プラス・ワン等など。

クラブではMCバトルが繰り広げられていた。

ヒップホップのライブビデオを見たときや、クラブに行ったときに 「Say,Ho-!」との掛け声をよく聞くと思うが、これを叫びだしたのはフィリアス・ファイブだそうだ。

以下で紹介しているグランド・マスター・フラッシュのMIX・CDを聴けば、ヒップホップの誕生を耳で感じることができるだろう。

是非、試聴することをおススメする。

Essential Mix: Classic Edition / Grandmaster Flash

ヒップホップの原点である、ブレイク・ビーツ等が収集されているノンストップMIX CDだ。

スクラッチはトランスフォーマー等ではなく、昔ながらのグランド・マスター・フラッシュ独特でシンプルなスクラッチであり、曲のつなぎもシンプルでセンスがいい。

しめに、アフリカ・バンバータの”Planet Rock”を選んでいるところが、ヒップホップファンは興奮するだろう。

ブラック好きには、避けては通れぬ道だろう。

お勧め曲は5曲目の「Rapture-blondie」だ。全部をお勧めしたいところだが、この曲だけは紹介させていただきたい。KRS-ONEの「Step Into A World」はご存知かもしれないが、その原曲なのだ!あの有名なビデオ”ワイルド・スタイル“でも流れている。

The Official Adventures of Grandmaster Flash / グランド・マスター・フラッシュ

「ヒップホップは、ブレイクビーツを長く保つことから生まれた・・・」。それを最も実感させてくれるのが、この1枚ではないではなかろうか。

上記のアルバムより、ヒップホップのオールドスクールを感じさせてくれる。

グランド・マスター・フラッシュのMIX・CDを聞けば、手っ取り早くヒップホップの誕生を感じ取れるだろう。

ギャングスタ・ラップが好きな方は、違和感があるかもしれないが、これぞヒップホップのオールドスクールだ。

このCDのポイントは、11曲目に Computer games – Yellow Magic Orchestra (YMO)が収録されているところではなかろうか。

Yellow Magic Orchestra(YMO)といえば、あの、坂本龍一のグループだ。

YMOの曲を、グランド・マスター・フラッシュが収録しているなんて、YMOはすごすぎる。さすが、世界の坂本龍一だ!

GRANDMASTER FLASH : Mixing Bullets & Firing Joints

またもやMIX・CD。ディスコ時代の曲、いわゆるダンス・クラッシックが満載だ。

ディスコの曲は、聴いていて実に楽しい。落ち込んだときにもってこいのMIX・CDではなかろうか。

1970年にこのディスコが流行した中で、ヒップホップは誕生したのだ!

おすすめ曲は、6曲目のSilvettiの「Spring Rain」。あの電気グループのシャングリラの元ネタである。つなぎが心地よく最高に盛り上げさせてくれる一曲だ。最初に聴いたときには鳥肌が立ったのを覚えている。

貧民街を感じさせてくれる、おススメの映画

ヒップホップは、ブロンクスの貧民街の若者達によって生まれた文化だ。だが、私達が住む日本は裕福な国であり、比較的に平和な世の中である。

したがって、言葉で「貧民街の若者達」と聞いただけでは、どのような世界なのか想像し難いのではないかと思う。

この映画「シティ・オブ・ゴット」は、1960年代~1970年代の、ブラジルの貧民街である、リオデジャネイロのギャング抗争を「実話」に基づいて作成された映画だ。

ブロンクスの話ではないが、この映画を見れば、貧民街を感じることができると思う。

舞台背景が1960年代~1970年代であり、人種は黒人なので、ヒップホップが生まれたブロンクスもこのような感じだったのかな?と想像させてくれる。

小学生のような少年でも強盗などの犯罪は当たり前。強盗などの犯罪をやっていない人間は、一人前の人間ではない。

お金を稼ぐために強盗をする。もっとお金を儲けるためにドラッグを売りさばく。

ドラッグを売りさばくには縄張り争いがある。だから、抗争して縄張りを奪う。

奪った縄張りでドラッグを売りさばき、そのお金で武器を買う。

そして、また抗争を繰り返す。そういう世界だ。

この映画は、実際にスラムに暮らす子供たちを集めて撮影しているらしく、リアルさが伝わってきた。また、ストーリーも面白く、映画に引き込まれた。

人気の映画であり、続編がどんどんでていますので、おススメしたい。

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シュガー・ヒル・ギャング(Sugar Hill Gang) ~ラッパーズ・ディライトの衝撃~

1979年に、シュガー・ヒル・ギャング(Sugar Hill Gang)のラッパーズ・ディライトが、ヒップホップ界に衝撃を与えた。

1970年中頃から後半にかけて、貧困な黒人の若者達は、公園に集まっては、DJが回すレコードの中で、ダンスやラップ、グラフティー・アートを楽しんでいた・・・