ビデオ・クリップ(プロモーション・ビデオ)により、ヒップホップは全世界へと普及していった。

ただ単に、ヒップホップという音楽が普及しただけではなく、ヒップホップという文化自体が爆発的に普及していった。

ヒップホップの歴史を語る上で、ビデオ・クリップは切っても切り離せない存在だ。

そのビデオ・クリップの普及する舞台となったのが、ヒップホップ最初の番組「YO! MTV RAPS」だろう。

このページでは、ビデオ・クリップと「YO! MTV RAPS」が影響をもたらした歴史的背景をみてみよう。

ミュージック・ビデオ・クリップの普及

音楽業界では、1960年代に入ると、レコード会社がアーティストを売り込むために、ビデオ・クリップが普及していった。

ヨーロッパでは、あの有名なロックバンド「ビートルズ」などのプロモーション用のヴィデオ・クリップが製作されるようになった。

そして、1980年代頃、アメリカでケーブル・テレビが一般家庭に普及し、テレビ・チャンネルが増えていくと共に、「MTV」などのヴィデオ・クリップ番組が誕生していく。

これにより、今まで「聴覚的」に売り込んでいた音楽が、「視覚的」に売り込むことが可能になり、音楽業界に大きな変化がもたらされた。

そして、その数年後、ヒップホップというカルチャーは、世間に爆発的に知れ渡ることに・・・。

放送局立ち上げ当初、ヒップホップは受け入れられなかった。

現在、ビデオ・クリップ専門番組として有名な「MTV」は、この時代のニーズと共に、1981年代に放映が開始された。

現在、MTVでヒップホップ・アーティストを視ない日は無いが、立ち上げ当初は、ブラック・ミュージックは放映されておらず、主にロックンロール歌う白人ばかりが放映されていた。

「Rolling Stone」誌によると、1年間半での放映数750本中、20本しかブラック・ミュージックは放映されていなかったらしい。ヒップホップだけでなく、ソウルやR&Bといったブラック・ミュージックすら、MTVには、まだまだ受け入れられてなかった。

このことに関して、MTVを批判する評論家は多いようだ。

ちなみに、ブラック・ミュージックは主に、BET(ブラック・エンターテーメント・テレビジョン)という放送局によって、放映されていた。BETは、ブラック・ミュージック専門番組を運営していたが、ただ、ヒップホップに関しては、まだまだ受け入れてなかった。

マイケル・ジャクソンが切り開く。

話はMTVに戻り、1983年にマイケル・ジャクソンが、MTVにブラック・ミュージックの道を切り開いた。彼のヒットシングルとなった「Billy jean」、「Beat it」、「Thriller(スリラー)」が放映されたのだ。

これらの曲は、これまでのビデオ・クリップの常識をくつがえす作品となり、ポップ・ミュージックを含めた全てのアーティストに影響を与えることとなった。

特に「Thriller(スリラー)」に関しては、現在では最も影響力の大きいビデオ・クリップとも言われている。まだ視たことがない人は、絶対見るべきだ。さすが、マイケル・ジャクソン!

スリラー / マイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソンがMTVにおいて、ブラックミュージックの道を切り開いたお陰で、ここから徐々にブラック・ミュージックが受け入れるようになった。

この頃、プリンスの「When Doves Cry」なども放映され、また、「ライオネル・リッチー」や「ホイットニー・ヒューストン」といったアーティストも、MTVに進出して大いに騒がせた。

そして、等々ヒップホップが放映されるときが来たのだ!

Run DMCの「Walk This Way」が放映される。

Run DMCのプロデューサーであるリック・ルービンとラッセル・シモンズは、エアロスミスの「Walk This Way」をカバーした曲のビデオ・クリップに、エアロスミスにも共演を依頼した。

エアロスミスはこれを承諾し、ヒップホップ界において名作のビデオ・クリップが誕生した。

そして、ヒップホップとロックンロールが融合したビデオ・クリップは大ヒットし、MTVは放映しまっくったのだ。

Walk This Way / RUN DMC

Run DMCに引き続き、デフ・ジャムのLL cool Jやパブリックエネミーを筆頭に、その他のヒップホップ・アーティストのクリップ・ビデオも放映され始めた。

そして、ヒップホップの勢いは増していき、ついに、MTVで専門番組が始まることとなったのだ。

「Yo! MTV Raps」の放映が始まる。

1988年9月、ヒップホップの専門番組「Yo! MTV Raps(ョー!MTCラップス)」が放映され始めた。司会は、ヒップホップのカリスマ的存在のファブ・5・フレディが選ばれた。

まずは試しに、週1回毎週土曜日に放映されたのだが、高視聴率を記録することとなり、1989年2月には、平日も毎日放送されるようになった。

平日の司会は、ラジオDJのドクター・ドレ(NWAで知られているドクター・ドレとは別人)と、エド・ラヴァーが行い、土曜日はファブ・5・フレディが行った。

この番組では、グランド・マスター・フラッシュやLL Cool J、EPMD、パブリック・エネミー、エリック・B&ラキムなどなど、今では大御所的存在のラッパー達が多く出演していった。

Yo! MTV Raps 1988

この番組の影響力は凄まじく、ヒップホップのビジネス面でも大きな成功となり、ヒップホップという文化を世間に普及させた。そして、1年後には、BETの方でも「ラップ・シティ」というラップ番組を開始することとなる。

しかし、「Yo! MTV Raps」では、N.W.Aなどのギャングスタ・ラップは、銃や犯罪などが絡んでいるため、放送局は、クライアント達の懸念も含め、放映を避けがちだった。

MTVではMCハマーやヴァニラアイスといった、一般受けしやすいポップ・ラップが、放映されまくっていた。

ギャングスタ・ラップが放映され始める。

MTVでは、ギャングスタ・ラップは避けられがちだった訳だが、世間ではギャングスタ・ラップの勢いが増していき、もはやMTVもギャングスタ・ラップを避けることが出来なくなった。

そのきっかけを作ったのが、ドクター・ドレの「The Chronic」だった。このアルバムに収録されている「Nuthin But a ‘G’ Thang」は、スヌープ・ドギー・ドックもフューチャリングしており、西海岸のスタイルが話題となった。

これ以降は、スヌープ・ドギー・ドックや2PACなどのギャングスタ・ラップも進出していった。

最後にまとめ。

以上、ものすごく簡単ではあるが、ビデオ・クリップの影響力について簡単にまとめさせていただいた。

ビデオ・クリップはプロモーション・ビデオとも言われており、レコード会社がアーティストを売り込むために製作されるようになったものだ。

このお陰で、ラップという音楽を売り込むだけでなく、ヒップホップという文化自体が普及されていったのだ。その舞台となったのが、「YO! MTV RAPS」だろう。