1984年、ラッセル・シモンズは、カーティス・ブロウやRUN DMCを世の中に送り込んだ後、「デフジャム・レコード」から16歳の若き少年を、ヒップホップ界へ送り込んだ。
その名は、LL COOL J(エル・エル・クール・ジェイ)。本名は、ジェイムス・トッド・スミスという。
名前の由来は、「Ladies Love Cool James(女性たちに愛されるクールなジェイムス)」の頭文字をとっている。
出身は、カーティス・ブロウやRUN DMCと同様、クイーンズである。
LL COOL Jは、幼い頃、恵まれない環境で育つ
少年時代は、あらゆるラッパーと同様、恵まれない環境で育っている。
彼は、実の父親から虐待を受けていた。その父親は気性が荒く、ジェイムスが4歳のときに、母親と祖父を拳銃で撃って怪我をさせたたほどの人間だ。(どちらとも命は助かったが・・。)
親は離婚をして、母親は再婚をした。しかし、不運なことに、新しい父親からも再び虐待を受けることとなる。
恵まれない環境で育ったジェイムスは、不良になってしまった。
そんなさなか、9歳の若さでラップに目覚め、ライムを刻み始めた。祖父からは、ターンテーブルを買ってもらい、ヒップホップという文化の中で育っていった。
彼は、ターンテーブルを使ってデモ・テープを大量に作りだし、レコード会社に送るという大胆な行動をとった。
その結果、デフ・ジャム・レコードに所属するビースティ・ボーイズのキング・アウト・ロックの耳に止まった。
1984年、16歳の若さで、”I Need A Beat”で衝撃のメジャー・デビューを果たした。
ちなみに、ヒップホップで最初の曲である”ラッパーズ・ディライト”を世にリリースした、「シュガー・ヒル・レコード」にもデモテープを送っていたが、何の反応がなかったらしい。(シュガー・ヒル・レコードは最高のラッパーを逃している)
- Radio / LL Cool J
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ドラムマシーンを使ったビートに、激しいラムをのっけて、さらに、電子音を使ったスクラッチで新たなヒップホップを作り上げた。Radioはデフ・ジャム・レコードにとっての初めてのプラチナ・ディスクをもたらした。
おススメ曲は、6曲目の「Rock the Bells」。多くのDJたちがこの曲で2枚使いでプレイしているので、この曲は知っていたほうが良いだろう。自分も2枚購入して練習した。
ヒップホップで初めてのバラード曲
LL COOL Jは、ファーストアルバムを大成功へと導き、さらに、セカンドアルバムでは、ヒップホップで初めての快挙を成し遂げた。
それは、バラード曲である 「I Need Love」 をリリースしたことだ。
ヒップホップのバラードは、LL COOL Jから始まっている。
このことは、永遠に歴史に刻まれるであろう。
さすが、Ladies Love Cool James!女性から支持を受けることが分かる気がする。
- Bigger and Deffer / LL Cool J
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ヒップホップ初のラップバラード「I NEED LOVE」は、ビルボードのR&BチャートでNo1を獲得した。
No1を獲得したのは、ヒップホップではこの曲が始めてである。
モテる男は同姓に嫌われる。
冒頭に述べたように、L.L. Cool Jの名前の由来は、「Ladies Love Cool James(女性たちに愛されるクールなジェイムス)」の略である。
名前のとおり、女性からは絶大な人気があった。
彼のファッションは評判がよく、シンボルであるカンゴールのハット、首には太いゴールドチェーン、そして、鍛え上げた肉体美。見た目がカッコイイうえに、女性の心をつかむバラードのラップを刻む。彼にはモテる要素が満載だった。
しかし、その反面、嫉妬もあってか同姓からは嫌われた。ラッパー達からは、ディスられやすい対象となった。
クール・モーディにいたっては、アルバム”How Ya Like Me Now”のジャケットで、LL COOL Jのシンボルであるカンゴール・ハットを、車で踏み潰している。
- How Ya Like Me Now / KOOL MOE DEE
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アルバムのジャケットを見ると、ジープのタイヤの下に、LL COOL J.のシンボルであるカンゴール・ハットが下敷きに・・・。完全にLL COOL J.に対するディスである。
クール・モーディといえば、ヒップホップで初めて、公でラップ・バトルをした人物だと言われている。
その時の相手は、映画「ワイルド・スタイル」でおなじみの、ビージー・ビーとやりあった。血の気が早い・・・。
- Walking With a Panther / LL Cool J
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このアルバムは売れたものの、世間では批判する者が出始めた。
世間は厳しいものであり、「もうLL COOL Jは終わった」と言う人も・・・。
LL COOL Jは、同姓から嫌われ、ラッパ-からはディスの対象となり、さらに3枚目のアルバムは不評であり、孤独なラッパーとなってしまった。
一時はドラックにお漏れたこともあったらしい・・・。しかし、そんなことで終わる男ではなかった。
Mama Said Knock You Outでカムバック!
世間から批判を受け始め、L.L.は、もう終わったと思われたりはしたが、そんなことでは負けやしない。
LL COOL Jは、祖母に、以下のようなことを言われた。
「ラッパー達をノック・アウトしろ」
この言葉をきっかけに、復活の曲 「Mama Said Knock You Out」 は完成した。
- Mama Said Knock You Out / LL Cool J
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このアルバムのプロデューサーは、ブギー・ダウン・プロダクションズ(KRS-ONE)とバトルを繰り広げた、あのマーリー・マールを迎えた。
最低でも、以下の2曲は抑えておきたい。
Around the Way Girl↓
Mama Said Knock You Out
これらの2曲は重要であり、多くのDJ達のMXテープに収録されている。
LL COOL Jと言えば、これらの2曲を連想する人が多いのではないだろうか。LL COOL Jはグラミー賞を獲得したのである。
完全に復活したLL COOL Jは、映画「ハードウェイ」(91年)、「トイズ」(93年)に出演し、ヒップホップ以外でも注目を浴びるようになる。 もはや、音楽業界だけでなく、俳優としての実力を見せ始める。
- 14 Shots to the Dome / LL Cool J
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4枚目のアルバムと同様、マーリー・マールをプロデューサーに向かえ、5枚目のアルバムを完成させた。
4枚目のアルバムは結構コアであり、売上があまり伸びなかった。
5枚目のアルバムは路線を変更して、ポップ要素を強く取り入れた。 これが、再びバカ売れするのである。
- Mr. Smith / LL Cool J
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このアルバムは、HIPHOP・R&B界の有名な多くのゲストを迎えて完成した。
ヒップホップにR&Bの要素を多く取り入れ、言わば聞き安いアルバムである。この作品はかなりおススメだ。
2. Make It Hot (ディスコの名曲(I like it )のトラックを使用)
4. Hey Lover
人気を誇るR&Bグループ 「BOYZ II MEN」 がフューチャリングしている。
若手ラッパー「キャニバス」は、LLをディスることで一躍有名に・・・。
1997年、キャニバスとのラップバトルが勃発した。
LLは、通算8枚目のアルバム「phenomennon」の1曲である”4,3,2,1″の製作に取り掛かっていた。
この曲に参加した若手ラッパーの”キャニバス”が、LLのマイクのタトゥーを「貸してもらう」とラップした。
LLは、これをディスと受け取め、この曲からキャニバスのライムを完全にカットした。 そして、LLはこう切り替えした。
「このシンボルはチャレンジャーどもには指一本触れさせねぇ」 さすが大御所だ。だが、若手のキャニバスにとって、LLからの攻撃は、プレゼントの様にありがたい贈り物だ。なぜなら売名行為につながる。 キャニバスは早速、”Second Round KO”で反撃に出た。
「てめえがムカついたのは、俺のシットが本物のニガーたちを感じ入らせるもんだったからだろ!」「何しろてめえのファンの99%はハイヒール履いてんだもんな!」
なんと挑発的なんだろう。日本の社会では、部下が上司にこのように言ったら首が飛ぶだろう。さらに、この曲のビデオ・クリップが、ママ・セイド・ノック・アウトをパロっている。「パク」っているのではなく、「パロ」っている = 馬鹿にしているのである。
このバトルにより、キャニバスの売名行為は成功し、一躍有名なラッパーになることができた。若手ラッパーが売名行為の為にラッパーをディスするには、大物ラッパー、いわゆるリスペクトされた大御所でなければ意味がない。 大物を攻撃すれば自分の名が売れやすい。
LLとキャニバスの勝敗は、世間ではキャニバスの勝利と認識されている。
だが!しかし!逆に考えれば、キャニバスが有名になるほど、攻撃したLLは大物だったということだ!
- Phenomenon / LL Cool J
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オリジナル盤発売日: 1997/10/14
- Can-I-Bus / CanIBus(キャニバス)
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LL COOL Jをディすることで有名に。HIPHOPは下克上でもして自分を売り込む世界だ。
自伝本を出版
自伝本 「I Make My Own Rules」 を出版している。私はこの自伝本を読みたくてたまらない。
ただのLL Cool Jファンだけでなく、これほど成功している人間の過去や経験を知りたい。
必ず、私の人生に影響を与えるはずである。
ヒップホップを通じて自分の志を高めることができれば、一石二鳥ではなかろうか!
LL・COOL・Jは並大抵のラッパーではない。
ヒップホップ界で、「最も息が長いラッパーは?」 と質問を受ければ、「LL COOL J」 と答える人が多いのではなかろうか。
1984年のオールド・スクールl時代にデビューしたラッパーであり、その後はオールド・スクールで終わるのではなく、その時代と共に変化を成し遂げ活躍している。
途中、非難され辛い時期があったものの、復活をして再びヒップホップの一線へ戻るスキルを持っている。
勿論、現在もおとろえることなく成長を続けている。また、若手ラッパー達に影響を与え、リスペクトされている。
現在では、アルバムの数は二桁をリリースし、彼の名前がヒップホップ界から消えることはない。
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