ヒップホップはブロンクスの貧困な若者達が誕生させた。
そして、79年の”ラッパーズ・ディライト”をきっかけに、アフリカ・バンバータやグランド・マスター・フラッシュ達が浸透させた。
この文化はブロンクスだけでには留まらず、カーティス・ブロウに続き、クイーンズからの第2弾、RUN-DMCが登場する。
彼らは、カーティス・ブロウの息子的存在である。
RUN DMCの登場で、ヒップホップ界は、さらなる変化を遂げていく。
Run DMCは、ゲットーではなく中流階級だ!
カーティス・ブロウ同様、ラッシュ(ラッセル・シモンズ)がマネジメントしているRUN・DMCは、MCであるRUN(ラッシュの弟)とDMC,DJのジャム・マスター・ジェイの3人からなるグループだ。
彼らは、なんとゲットーではなく、クイーンズ出身の中流階級なのだ。
貧困な若者たちが、お金がないがなく作り上げた文化が、中流階級にまで広まったのである。
中流階級のヒップホップアーティストが、世界的に大ヒットとなったのは、歴史において重要であり、文化の大きな変化を証明できる事柄だ。
衝撃はそれだけではない。彼らは、今までのヒップホップサウンドとは違い、ドラム音のみのビートに、ラップを載せたシンプルすぎる曲 “Sucker MC’s” をリリースする。
ライムの内容は、自分達が、いかに悪であるかを叫んだ。
今までにないサウンドであり、世間をおおいに騒がした。これをきっかけに、RUN DMCは注目されるようになる。
- Run-D.M.C. / RUN DMC
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デビュー・アルバム。ヒップホップ初のゴールド・アルバム(売上50万枚)を記録した。
お勧め曲は、2曲目の「Rock Box」。これぞヒップホップ+ロックだ!5曲目の「Sucker M.C.’s (Krush-Groove 1)」は、RUN DMCのファースト・シングル。この曲から彼らの伝説が始まる。やはり、このシンプルな曲は耳に残る。
衝撃2
衝撃はまだまだある。ヒップホップはブラック・ミュージックをベースとしているものだが、彼らは、それをくつがえした。
白人主流の音楽である、ロックとの融合をやり遂げた。
セカンドシングルの”ロック・ボックス”は、ロックを取り入れた曲であり、ヒップホップ=ブラック・ミュージックという常識をくつがえしたのだ。
- King of Rock / RUN DMC
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ヒップホップ初のプラチナ・アルバム(売上100万枚)を記録する。
衝撃3
彼らが身に着けているアディダスについて、面白いエピソードがヒップホップ・アメリカに載っていたので、簡単にまとめて紹介させていただきたい。
RUN DMCは、コンサートにアディダス社の重役達を招待していた。RUNは、名曲”マイ・アディダス”を歌う前に、客に問いかけた。
「自分のアディダス(靴)を脱いで、頭上にかざして欲しい」
すると、客は靴を脱ぎ、上にかざし、三本線の入ったスニーカーが客席全体を覆ったのだった。
コンサートが終わりステージから降りると、重役達に話を持ちかけられた。その内容は、RUNが93年の「ザ・ソース」誌の取材でこう答えている。
「アディダスの重役達に、俺仕様の生産ラインを用意するって言われたんだ」、「俺の人生で、最も記念すべき瞬間だったよ」と。
その後、RUN・DMCは、まるでスポーツ選手のようにアディダスと契約を交わし、スポーツ用品をマーケティングしたのだ。
もはや一流の大スターだ!ものすごい。
- Raising Hell / RUN DMC
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○HIP・HOP初のマルチ・プラチナ・アルバム(売上200万枚)を記録する。
○HIP・HOP初のローリングストーン誌の表紙を飾った。
○HIP・HOP初、MTVでPVが放映された。
以上のことから、どれだけすごいアルバムかがわかる!■お勧め曲
- 3.My Adidas
アディダスの宣伝曲みたいな・・。 - 4.Walk This Way
誰もが耳にしたことがあるだろう。あのロックの大御所、エアロスミスのカバーだ!
- 3.My Adidas
RUN・DMCを成功に導いたデフジャム・レコードの創設者、ラッセル・シモンズは、 ヒップホップ界の重要人物だ。
デフジャム・レコードは、誰もが耳にしたことがあるだろう。現在では、日本でもデフジャム・ジャパンが存在する。
ヒップホップ界で、20年以上の成功を治めているレーベルは、他にはない。
- Tougher Than Leather / RUN DMC
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このアルバムは、サード・アルバム”Raising Hell”までは売れてはないが、彼らの実力が向上していることが確認できる。
■お勧め曲
- 1.Runs House
- 2.Mary Mary
- 4.Beats To The Rhyme
- 6.Papa Crazy ブレイク部分にJAZZのピアノ・ソロが入っていて最高!
- Down With the King / RUN DMC
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お勧め曲は1曲目の「Down With The King」。この曲には思い出がある。
私が現役DJのころ、クラブで、ヒップホップ対テクノ対ハード・コアというパーティーをしたことがある。
コアのライブをやった後に、私が回す番だった。コアで盛り上がった後に回すのは自信がなかった。何を回そうか考えたあげく、タフな曲、”Down With The King”をかけると、一緒になって盛り上がってくれた。さすがRUN・DMCの3年ぶりの曲だ。
追悼
2002年10月30日、ニューヨークのスタジオで、ジャム・マスター・ジェイが2人の男に射殺された。私はショックで信じられなかった。
その後、RUN・DMCは「3人でやる以外考えられない」と解散を発表した。彼らはの人生はHIPHOPそのものであり、永久にリスペクトされていくだろう。
- RUN-D.M.C.グレイテスト・ヒッツ1983-1991 / RUN DMC
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大抵のアーティストはベスト・アルバムを聞けば満足するものだが、RUN・DMCはそれでは物足りない。
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