90年代中頃に、 “デス・ロウ・レコード” の最高責任者であるマリオン・シュグ・ナイトが、2PACとの契約を果たし、ギャングスタ・ラップは行くところまで行ってしまった。
それは、デス・ロウが東西抗争を引き起こし、2人の有能なラッパーをこの世から失ったことだ。
HIPHOPの歴史の中で、この東西抗争 (西海岸・デス・ロウ・レーベル VS 東海岸・バット・ボーイ・レーベル) は最も重要な出来事である。
2PACのデビュー
ラッパーを目指す為高校を中退し、MCニューヨークという名前でラップを始める。
その間はドラック・ディーラー等でお金を稼ぎ、貧しい生活をしていた。
彼はデジタル・アンダーグランド(以下DU)という人気を得ていた個性的なラップ集団に認められ、91年に加入する。(2PACはDUのツアーで来日している。)
彼はラッパーとして、DUの”THIS IS AN E.P. RELEASE”でレコード・デビューを果たした。
- This Is an EP Release / Digital Underground (デジタル・アンダーグランド)
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このアルバムは、ゴールド・ディスクを記録した。
おすすめ曲は1曲目の「Same Song」。2PACのレコード・デビュー曲だ。
そして、同年に念願のソロ・デビューを果たした。
- 2Pacalypse Now / 2PAC
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2PACのソロ・デビュー作。
おすすめ曲は10曲目の「Brenda’s Got A Baby」。このメローな曲でR&Bチャート23位を記録した。だが内容は、イトコとの間に子供ができ、浴室で出産した赤ちゃんを焼却炉に捨てたという実話に基づいて作られた曲だ。おそろしすぎる。
92年、またもや出世のチャンスをつかんだ。役者として、映画の主人公に抜擢されたのだ(高校時代に演劇をやっていたいたせいか・・)。映画 “Juice”(ジュース)で一躍有名になる。
彼の演技は評価され、その後も俳優として数多くの映画に出演している。
- Juice: Original Motion Picture Soundtrack / 2PAC
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2PAC主演の映画 “ジュース”をまだ見ていない人は、すぐにでもツタヤに行って借りたほうがいい。
一般の人から見れば内容は面白くないかもしれないが、B・BOYにとっては面白すぎる映画。さすが2PACは高校のころに演劇をやっていただけある。
オープニングに、エリック・B&ラキムのノー・ザ・レッジから始まり、DJバトルのシーンではノーティー・バイ・ネーチャーの”Uptown Anthem”のトラックを使い、こすりまくっているぞ。
■お勧め曲
- 1.Uptown Anthem / ノーティー・バイ・ネーチャー
- 2.Juice(Know The Ledge) / エリックB&ラキム
- 3.Is It Good To You / Teddy Riley feat Tammy Lucas
ニュー・ジャック・スウィングの創始者、テディ・リリーの曲だー!オジロザウスがCDのジャケットをパクッた。
91年2月、テキサスで警官を射殺した少年が驚きの発言!「2PACのアルバムを聴いたから警察を撃ちたくなった」とのこと。
一般社会では2PACのイメージが悪い方向へと・・・。
- Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z. / 2PAC
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アイス・Tやアイス・キューブ、ノーティ・バイ・ネイチャーのトレッチら豪華ゲストが参加したアルバム。プラチナ・アルバムを記録した。
11曲目の「Keep Ya Head Up」は全米シングルチャート12位、R&Bチャート7位を記録し、14曲目の「I Got Around」は、全米シングルチャート11位、R&Bチャート5位を記録した。
数多くの事件
93年3月からは、ギャングスタ的行動の数々。事件を起こしてはメディアを騒がした。
- 93年3月 :リムジンの中で運転手と喧嘩となり、逮捕された。
- 93年3月 :2PAC出演予定の映画をおろされ、監督に暴行をはたらいた。(15日間の禁固刑)
- 93年4月 :ミシガンで、自分のスタイルをパクッたラッパーをバットで殴った。(10日間の禁固刑)
- 93年10月:アトランタで警官と銃撃戦を繰り広げた。 ←悪すぎ
- 93年11月:ニューヨークのクラブで知り合った女性を、ホテルに連れ込みレイプしたとのことで、後に起訴され、有罪判決を受ける。
※実際には、まだ多くの事件がありますが、公になった事件を記載しました。
最初の銃撃事件
94年11月30日。ここからが東西抗争(バット・ボーイ VS デス・ロウ)の始まりである。
2PACは上記、93年11月のレイプ事件を法廷で問われている最中だった。彼はリトルショーンのレコーディングに参加する為、ニューヨーク・タイムズ・スクエアのクアッド・レコーディング・スタジオを訪れていた。
そのスタジオの2階には、バット・ボーイの”ビギー・スモール”と”パフ・ダディ”が別の部屋を借りており、レコーディングを行っていた。
突然、2PACはエレベーター付近で、武装した2人組に襲撃され、銃弾5発をくらった。そして4万ドル相当のジュエリーを盗まれた。(なんと1発は頭をかすったという)
彼は、病院を強引に退院し、翌日、以前のレイプの件で、マンハッタンの法廷に車椅子で現れた。そんな痛々しい姿でも法廷は厳しく、有罪を言い渡し、1年半から4年半の禁固刑となった。
そして、ニューヨークの刑務所に護送される間に、銃撃はバット・ボーイ・レーベルの仕業ではないかと思い始める。
- Me Against the World / 2PAC
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投獄中にリリースされた、デス・ロウ入り前の3枚目のアルバム。
■おすすめ曲
- 4.So Many Tears
- 5.Temptations
- 9.Dear Mama ・・・グラミー賞にノミネートされた。
2PACの投獄中に、ここで、デス・ロウ・レコードの最高責任者、マリオン・シュグ・ナイトが行動に出る。
ニューヨークとは正反対のカルフォルニア州から何度も面会に訪れ、デス・ロウ・レコードへの移籍の話を持ちかけた。
そんなシュグ・ナイトの熱意が伝わり、2PACは140万ドルの保釈金で釈放され、インターン・スコープからデス・ロウへ移籍した。
こうして、デス・ロウからの第1弾となるアルバム “ALL EYEZ ON ME” をリリースする。 .
- All Eyez on Me / 2PAC
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デス・ロウ移籍後第1弾!HIPHOP初の2枚組みアルバムであり、27曲も収録されている。
このとき、すでにドクター・ドレとシュグ・ナイトとの間には確執があり、ドレがプロデュースしたのは、たったの2曲であった。(後に自らアフターマス・レーベルを設立)
豪華ゲスト、スヌープ・ドギー・ドッグやドッグ・パウンド、メソッドマン、レッドマン、K-Ci & JoJo、ジョージ・クリントン、ロジャーが参加!! 発表と同時にポップ・チャートでナンバー1を記録する。
■お勧め曲
- ディスク1:12.California Love(RMX)[Remix]
ドクター・ドレのプロデュースで、大ヒットとなった。
- ディスク1:12.California Love(RMX)[Remix]
最後の銃撃事件
時は1996年9月7日。2PACはラスベガスで、ボクシングのマイク・タイソン戦を観戦した。
試合の結果はタイソンが勝利をおさめ、2PACはマリオン・シュグ・ナイトとBM750に乗用し、タイソンの祝勝会へと向かった。
途中、信号待ちをしていたとき、隣に白いキャデッラクが止まった。すると、突然、窓から銃弾が何発も打ち込まれた。
2PACは、すぐさま後部座席に非難しようとしたが手遅れだった。体中に銃弾を浴びせられ、病院へ運ばれたが、6日後に帰らぬ人となった。
2PACの死後、母親のアフェ二・シャクールは、2PACの報酬が少ないこと知り、デス・ロウを訴えた。
その結果、150巻のテープを獲得し、97年にジャイブ系列のレーベルを設立する。そして、2PACの数多くの未発表曲をリリースしていく。
- R U Still Down? (Remember Me) / 2PAC
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死後、母親によりリリースされたアルバム。ポップ・チャート初登場2位、R&Bチャートでは2週目にして第1位に輝いた。
■お勧め曲
- ディスク.1:7.I Wonder If Heaven Got A Ghetto
トラックのピアノがすがすがしく、後に大ヒットとなる曲”Changes”のライムが一部使われている。DJはつなぐべし。 - ディスク.2:6.Do For Love
- ディスク.1:7.I Wonder If Heaven Got A Ghetto
- Greatest Hits / 2PAC
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R&Bチャートで初登場ナンバー1の快挙を成し遂げた。
■お勧め曲
- ディスク1:12.Hit ‘Em Up
ヒップホップで最も極悪非道なディスと言われている曲だ。Bat Boy、Nas、モブ・ディープを徹底的にディスっている。英語の意味が分からなくても、2PACの怒りが伝わってくる。今までHIPHOPを聴いた中で一番怒りを感じる曲。 - ディスク2:5.Changes
未発表曲の中でシングル・カットされ、世界中で大ヒットした曲。始めてこの曲を聴いたときは衝撃的だった。I Wonder If Heaven Got A Ghettoと一部分同じライムが入っている。
- ディスク1:12.Hit ‘Em Up
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パフ・ダディがバッド・ボーイを立ち上げ東西抗争へ
1990年代半ば、ヒップホップ界は、東のデス・ロウレ・コードと、西のバッド・ボーイ・エンターテイメントという二つのレーベルとの間に亀裂が入り、対立していた・・・