デス・ロウ・レコード(Death Row Recoard)誕生

1992年、マリオン・シュグ・ナイトとドクター・ドレにより、ヒップホップ界で最も極悪なレーベル"Death Row(デス・ロウ)"が誕生した。

1990年代は、このレーベルが中心となり、世の中に浸透したギャングスタ・ラップは、全盛期を迎える。

レーベルを発足させた方法は、マリオン・シュグ・ナイトが、元NWAのEAZY-Eを脅迫し、ルースレス・レコードとドクター・ドレとの契約を解除させるという極悪、非道なやり方だ。

もちろん、後にEasy-Eは脅迫されたとして、シュグ・ナイトとデス・ロウ・レコードを訴えた。だが、残念なことに訴えは棄却され、Easy-Eは猛烈にデス・ロウを憎んでいく。

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デス・ロウ・レコード(Death Row Recoard)のレーベルのロゴ

ロゴは、レーベル名のとおり、電気椅子に縛られ頭に袋をかぶって、刑の執行を待っている男を表現している。

しかも、色は血をイメージさせる赤色。なんて恐ろしいロゴなんだろう。日本では考えられない。

デス・ロウは、レーベル設立後、数多くのアーティストを獲得していった。

デス・ロウ・レコードからの待望のアルバム第一弾は、現在では歴史上最強のギャングスタ・ラップと言われている、ドクター・ドレの "The Chronic" (ザ・クロニック)だ。

このアルバムで、シンセサイザー音を使ったギャングスタ・ラップ "G-FUNK"を確立し、またもや新たなヒップホップを誕生させた。

The Chronic / Dr.Dre

日本語訳では"病み付き"を意味するこのアルバムは、現在では歴史上最強のギャングスタ・ラップだと言われており、1992年以降の全てのラップに影響を与えた。

当時は300万枚のセールス記録しており、現在の日本では、なんと、国内版が3回も再発売されているクラッシック・アルバムだ!

ドクター・ドレはシンセサイザー音を悪そうに使ったG-FUNKを確立し、以後、G-FUNKが西海岸サウンドの特徴となる。ウェッサイを手っ取り早く知るにはこの1枚だろう。

また、このアルバムの大半をスヌープ・ドゥギー・ドッグがラップしており、また、その他数人のラッパーが参加している。スヌープ・ドゥギー・ドッグはこのアルバムで一躍有名になり、ウォーレン・G(ドレの異父弟)は初めてレコーディングをしたのだ。

ドレとスヌープは、1、2、16曲目でEasy-Eとマネージャーのジャエリーへラーを徹底的にディスっている。さすがデス・ロウからの第一弾!悪さ満開。

■お勧め曲

  • 5.Nuthin'But a "G" Thang
    この曲で、スヌープは一躍有名に。 アルバムから最初にシングル・カットされた有名すぎる名曲です。
  • 16.Bitches Ain't Shit
    1、2曲目はひたすらイージーをディスっているが、16曲目はディスリ方が一味違うように思える。「イージーとは一緒に金儲けをしてきた仲だったが裏切られた」といったような内容を長々とラップしている。ドレは辛かったんじゃなかろうか。

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ディスの内容

Eazy-Eは、上記アルバム "The Chronic" でドクター・ドレとスヌープ・ドゥギー・ドッグにコテンパにディスられた。その内容を下記に記してみた。

  • 追伸、クソッタレの"仕事熱心な刺青モン"ことジェリーとイージーへ殿へ 敬具 くたばりやがれこのバカどもめ ←悪い
  • 殺られるかもしれないぞ 身を隠しとけBG(ベイビー・ギャング)よ ←怖い
  • お前がステージに立ちワックなコンサートでラップしている最中に、俺は背後からお前のケツを奪う ←違った意味でおもしろいかも・・・。
  • コンプトンでお前をさらってマイアミで弾をぶち込んでやる ←悪すぎる

こんな悪い言葉が歌詞にあるなんて、ほんと日本では考えられない。

だが、Eazy "Mother Fuckin" Eは言われっぱなしで終わるはずがなかった。アルバム"It's On(Dr.Dre)187um Killa"で猛反撃に出た。

It's On (Dr. Dre) 187um Killa / EAZY-E

ドクター・ドレ "The Chronic"の反撃アルバムだ。

まずは大胆にも、アルバムのタイトルでドレを標的としている。また、ドレの昔の、誰にも知られたくないような格好をしている写真を、CDの裏に掲載している。完全に喧嘩を売ったCDだ。ここまでして、いいのだろうか。・・・

サウンドは、ドレのG-FUNKを完全にパクっているが、皮肉にもG-FUNKとEazy-Eのかん高い声がマッチしてかっこよく、全米5位を記録する。NWA時代のDJイエラ、MCレンも参加している。

その後のEasy-E

Easy-Eは、ルースレス・レコードから ボーン・サグスン・ハーモニー というグループ等をヒットさせたりはしたが、彼の人気は成下がっていった。

そして1995年、6人の女性との間に7人の子供がいるほど、女遊びがめっぽー好きだった彼は、残念なことにエイズの為亡くなった。

Str8 Off Tha Streetz of Muthaphukkin Compton / EAZY-E

亡くなった後にルースレス・コードは未完成曲を集め、2枚組みのアルバムをリリースした。

イージーよりも参加アーティストのラップが多くなっている。

Eternal E / EAZY-E

Eazy-Eを知りたい人にはこのCDだろう。

95年にリリースされたEternal-Eが、再びパワーアップして発売されている。

シュグナイトが凶暴に

94年に入ると、ますますマリオン・シュグ・ナイトの暴力的行動がエスカレートしていく。脅迫などでイメージが悪くなり、決してシュグも否定はしない。彼の行くところ訴訟と敵が増える一方だった。

そんななか、同年にスヌープ・ドゥギー・ドッグが殺人事件の被告として起訴され、デス・ロウは看板ラッパーを失った。また、ドクター・ドレはシュグの過激な行動に、嫌気がさし始めていた。

そこでシュグ・ナイトは、レイプ事件で投獄していた2PACの獲得を試みるのである。

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2パック(2PAC) ~東西抗争が勃発~

90年代中頃に、 "デス・ロウ・レコード" の最高責任者であるマリオン・シュグ・ナイトが、2PACとの契約を果たし、ギャングスタ・ラップは行くところまで行ってしまった。

それは、デス・ロウが東西抗争を引き起こし、2人の有能なラッパーをこの世から失ったことだ・・・

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